2008年6月13日金曜日

カナダ首相国会で先住民に謝罪する。

一昨日6月11日はカナダ全体そしてカナダ国民全員に 記憶に残る日でした。
連邦政府国会にて カナダ首相HARPER氏が 先住民にResidential School 問題で全先住民に この件に関して 国を代表し、国民を代表し 過去の先住民の子供の扱い方(Residential Schools)に関して謝罪しました。

カナダ連邦政府は 1870年ごろから(カナダ建国は1867年)先住民をどうすれば白人社会にassimilateつまり 同化、融合、混合できるかということを考え、その一つの道として先住民の子供を6歳ぐらいから 16歳まで、Anglican, Catholic, United and Presbyterian churches とかに国が援助をだして、家から遠いところに寄宿舎と学校を建て、そこに子供たちを 家族から強制的に連れ出し、隔離し、その寄宿舎学校では 先住民子供には強制的に自分たちの言葉を使うことを禁じ、英語を使うことを強制し、そうして 子供たちからNative Culture を剥奪しました。1920年ごろには この先住民の子供をそういう寄宿舎・学校に送ることは強制制度となりました。

その時代の政府役人が以下のように コメントしていたと、ロイターのニュースに出ていました。
Duncan Campbell Scott, a government bureaucrat, declared in 1920 that "I want to get rid of the Indian problem." He added: "Our objective is to continue until there is not a single Indian in Canada that has not been absorbed into the body politic.
つまり白人社会に完全にassimilateさせて、先住民問題を解決しようとしたのです。


その生徒数は150,000といわれています。現在でもまだ87,000人が生き残っているといわれています。(現在のカナダ人口は32ミリオン・先住民人口は1ミリオン)

このシステムは 1870年ごろから1970年ごろまでありました。最後の学校寄宿舎は 1996年に閉められました。

強制的に寄宿舎に入れるだけではなく、教師とか子供の面倒見る人たちに レイプされた子供たちも数少なく無く、連邦政府としては $1.9Billionの弁償金を用意し、今それを支払い開始しました。

さらに 南アと同じように  a truth and reconciliation commission, という調査と和解を薦める組織 が今年の6月1日より 活動開始することになり、次の5年間彼らはカナダ中を横断して 生き残っている経験者から情報収集することになりました。 

先住民の中でも謝りと弁償で解決するような問題ではない、という人たちと、過去のことは過去のことで、これからは先のことを考えて進むべしという二つにわかれています。

過去には日系人の第二次世界大戦中の強制疎開に関してもカナダ政府からの謝罪と弁償がありました。各自$21,000をもらいました。
Wednesday, June 11, 2008

最後の講演会2008年6月11日水曜日
今日は久しぶりに晴れ。10時半よりVancouverの日系ヘリテージ会館で コスモスという日本人女性の会で講演を依頼されたので、「委任状、看護・治療・医療依頼契約書、そして遺書」に関してのお話をさせていただきました。70名ぐらいの参加者数で、熱心に聴いた頂いたので、これは幸いと この最後の受けのよい講演会をもって一生の講演会はもうこれで終わり、と決めました。もしも 会場で受けが悪ければ それを持って最後の講演会とはしたくなかったので、事前には誰にも話していませんでした。。。考えてみれば弁護士資格取得は1975年5月。もう33年ぐらいの弁護士生活をしています。その間には数多くの講演、日本語テレビ出演、ラジオ出演もいたしました。講演時間としては今日は1時間半。そして質問が約15分ぐらいでしたが、やはり話することには責任があるので、準備時間でも最低は5-6時間はかかります。特に話すトピックが今回のように三つになるとそれだけ準備時間が増えるのです。というので、まあ 今年の8月には68歳になりますので、まあ それだけの時間を使うのも体に負担を与えることになるし、まあ、これで一応「講演は終了」としました。私は歳にみあった、おとなしさを得ようとはおもっているのですが、私がおとなしくなる、と言えば数多くの友人たちからは信じてもらえないだろうな、とおもってはいますが。。。

2008年4月10日木曜日

辞書必要

私は51年カナダに居住している。大学も十分行った(9年間)。仕事としては弁護士として31年間しているので、難しい書類など読むのも別に苦にもならない。

先週末にChapters Bookstoreに行ったときについつい、と探偵物の本を買った。P.D. James著。A Taste For Deathというタイトルの本である。まあ、800ページ弱という長編ではあるが、驚きは著者の語学力。二三ページごとに 私は必ず辞書を使わなければ分からないとか今まで見たこともない単語が多くでてくる。"effluvium", "detritus", "patina"などは今まではどこでも出会ったことのない単語である。通常は探偵物などを読むときには辞書などは一度も使ったことがないが、今回だけは SHARPのOXFORD ENGLISH DICTIONARY (電子辞書)が手放せない。。。今やっと173ページを終わったところであるから、800ページ目にたどり着くのは まだ遠い話である。でも従来の辞書よりも電子辞書は使いやすいので助かっている。
2008/4/09

2008年4月9日水曜日

電話対応

ある銀行からの電話メッセージが私の事務所の留守電に残されていた。通常の Jack, Shirley, Mary, Jimとかいう名前であれば、問題ではないのだがどうもこれはEast Indiaとか 中近東から移民して来た人だと思える、名前が残されてあった、スペルをしてくれたり、ゆっくりな話し方で名前を残してくれればいいのだが、早口では全然相手の名前がわからない。

さらに残された電話番号も確りと発音されていない。さらに 「オー(ゼロ)」といっているのか「フォウ(4)」か分からない。ZEROといってくれればこれは問題なく分かるのに。。。

当地の某会社に勤めている友人は誰でも 電話をしたら、 これまた 長々しい応対を 最初になさる。名前、会社名、云々と。。。親切で丁重な 応対とは思うが。。。。

私がもう40年前にVancouver空港で日本航空に旅客係りとして勤めていたときには、確かこのように社内電話ではした記憶がある。
「バンクーバーKI。花野です。」と社内電話であれば、受け取る。
相手は「サンフランKI.田中ですが。。」
ときに KIとは国際空港内のJALの旅客係りという名称である。国内空港であれば、KD。
そして、最後には 電話をした方が「此方はサンフランKIの田中でした。」と言って電話を切った。
覚えていないのは もしかしたら、私は 「バンクーバーKIの花野でした」と言っていたかもしれないが。。。

なにしろ、この「どこから電話をしている」と「誰」は最初と、最後に繰り返されて、メモするのに簡易であった。

今日その銀行のマネジャーから電話があったので、名前と電話番号は確りと誰でも分かるようなメッセージをのこしてくれと伝えたら、「明日の支店スタッフ会議のときにこれは話します」と言ってくれた。

さて次に電話が来るときにはどうなっているかな?

2008/4/08
 

2008年4月8日火曜日

人権法

多くの人は人権法をしっかりと理解していない。カナダでは連邦政府管下にある、人権法と各州政府管下にある人権法がある。例えばBC州では通常でてくるのはBC州の人権法である。

「人種差別」は人権法に違反ではあるが、何時もそうか、と言うと、それは違う。例えば貴方が自分の家に友達などを招待するときには 「はい、日本人だけしか招待しません。白人、中国人、その他は家に入れません」と言ったらどうなるか? 実はなにも法律的には問題は全然ありません。

でも レストラン、公衆にオープンしているプール、学校とかでそういうことをすればそれは人権法違反です。だから人権法に違反するかどうかは、その場所(レストランとか)、事情(人を雇うときには)、アパートを貸すとき、など法律で決められた場所、事情によっては、その様な人種差別は 人権法違反になります。

数年前にVancouverでは 有名はMarine Drive Golf & Country Clubで ゴルフ終了後に酒を飲むバーがありましたが、そこは MEN ONLYという規定でしたので、女性会員ゴルファーが集まって、それは人権法違反であると 訴訟を開始しました。最後にはカナダ最高裁判所までそのケースは行きました。結果は:なにも人権法違反ではない、でした。


理由は簡単なのです。もしも このゴルフクラブが一般の人をいれていたら、それは人権法違反ですが、このクラブはPRIVATE CLUBで会員しかいれないのです。つまり、貴方の家と同じなのです。
誰を入れるかは貴方の勝手です。
VancouverにはSemi Privateなるゴルフクラブもあります。例えば月曜日と水曜日には一般のゴルファーも受け入れるというのがあります。そうなれば、これは違った判決が出ていたでしょうね。。。

自分のこと

カナダに来て51年、UBC大学を最初に卒業して40年、UBCの法科を卒業して34年、弁護士資格を得て33年、と長いカナダでの生活、そして弁護士生活をしてきた。大卒のまえには色々なカナダにおけるバイトもしてきた。夏には山火事を消す仕事もした。まあ 何しろ波乱万丈に変わったしごとをしてきたが 皆さんから 「苦労してこられましたね」とお労わりのお言葉を頂くのであるが、私としたら、「別に苦労したなんて考えたこともない」の若いときに経験です。

よく言われるが「苦労するなら若いときに苦労しておけ」とはよく言ったものですね。そのとおりです。

もう今年は満で68歳になろうとしているSENIRO LAWYERですが、これからこのブログに気がついたことなどを書きこんでいきたいと思っている。

2008/4/07